2006年04月29日

稲垣足穂のVision!

稲垣足穂のVision!

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『人間人形時代』は1975年に、私が工作舎にいた頃に作った本で、当時さまざまな理由から非常に話題になった本です。本の値段が1,975円という、当時町の本屋さんに5円のお釣りがなくて、日本中の本屋さんから文句を言われたというのも話題のひとつですが、いちばん話題になったのは、本の真ん中に孔が空いているということです。これについてはこれから徐々にお話していきます。


 稲垣足穂さんと私は、『遊』のなかで「タルホニウム放射圏」という対談をしています。これは5、6年にわたり、私が京都の宇治桃山に住んでおられた足穂さんのもとへ行く度に録音していたものを、少しずつ連載をしていたものです。そのタイトルにも表れているように、“タルホニウム”という別の物質世界、物質的精神世界のなかで足穂さんが話し、私がそれに何かを交わすという狙いのもので、私が訪ねると「松岡はんはほんな玄関から入ってこんでもええわ。縁側から来なさい」と言われながら、お話をしていた。

編集工学研究所で収録された『人間人形時代』の本談ビデオがお楽しみいただけます。下の"Movie"をクリックしてご覧下さい。(約2.3MB)
※ご覧になるには
QucikTimePlayerが必要です。

 昭和初期に鮮烈なデビューをし、当時文壇の寵児としてもてはやされた稲垣足穂は、中央の文壇や文藝誌と付き合うこともなく、実は随分長い間忘れられていた作家だったんですね。
 それが1960年代後半に、『南北』(編集人:常住郷太郎)や『本の手帖』というリトル・マガジンが稲垣足穂を取り上げ始めた。最初は小説が載る程度だったものが、新連載が始まり、特集が組まれるようになって、一般の雑誌や新聞にも原稿を書くようになり、70歳を越えた頃に、それまで書き溜めていた原稿が次々に本になっていくんです。

 
 私はごく初期の頃から稲垣足穂に関心を持っていて、日本の文学者にはきわめてめずらしく、宇宙論や機械論があることに驚いていた。しばしば宮沢賢治と比較されますが、宮沢賢治のファンタジックな宇宙感覚とはまったく違います。理論的・学問的に研究した上での宇宙論や天文学に憧れていたことに、私は関心があった。
 また大学の頃に、私は新聞会や劇団素描座やアジア学会ともうひとつグライダー倶楽部にも入っていて、飛行機にひじょうに興味があったんです。飛行機はなぜ飛ぶのか。金巾(カナキン)という布を張りプロペラを手動で作業員が回してスロットルを入れる、という複葉機の時代もありましたが、そんなことをしてまで空中をかけめぐりたいという欲求を乗せて、菜の花畑をひらひらと揺らめかすようなフラジャイルなマシーンにきわめて憧れがあって、稲垣足穂が少年の頃から飛行機を偏愛し、武石浩波や徳川大尉、ハルマンやブレリオたちの複葉機の世界を描いていることにもまた興味があったんですね。
 さらにもうひとつ、人間をボール紙でできた円筒と見てしまうような、非常に抽象化された性の感覚に早くから目覚めていたことにも惹かれた。ジャン・ジュネのレスリング的な男色や『仮面の告白』や『禁色』に三島由紀夫が描いた世界とは全く異なる、その形而上の性の感覚は一体なんだろう、と思っていたわけですね。
 
 
 このように稲垣足穂には関心はあったけれども、非常に少数のファンしかいないだろうと思っていたのが、60年代後半以降、その外見や歯に衣着せぬ物言いを勘違いして受け取られて、魔道の大王とかタルホ大魔神とか訳のわからないもてはやされ方すらし始めた。これはちょっと足穂さんの世界が歪められてるな、というと大袈裟かもしれないけど、私の好きな稲垣足穂像とは違うブームだなと思っていたんです。
 『遊』に「タルホニウム放射圏」を連載しながら、もっと稲垣足穂の原点らしいものを世の中に提供してみたい、それには本作りも足穂さんらしいものにしなければならないだろう、と思って着手したのがこの『人間人形時代』なんですね。


 最初の発想は、「人間人形」という言葉を私が足穂さんの小さなエッセイに発見するところから始まります。“人間と人形”でもなく“人間的人形”でもなく、“人形的人間”でもなく、「人間人形」と言うこのセンスを、少し膨らませてみたいと思ったわけですね。
 1970年代初期はサイボーグとかレプリカントとかソフトマシーンとか、そういうものがやっと出始めた頃で、まだパンクという言葉や感覚はなかったんじゃないかと思うけれども、もちろんワープロもパソコンもない。しかし人々がなにかこれからの時代がマン・マシーンの感覚に入っていくのではないかというものを思い始めていた。人間と人形が入れ替わっていくような感覚がこれから出てくるのではないか。
 それを稲垣足穂は昭和の初期に察知していて、「人間人形」という感覚をどこかでつかんだ。これをちょっと膨らませて、変わった本にできないかな、と思ったのが最初のアイデアのきっかけです。

 
 そこでさっそく京都にいる足穂さんを訪ねて、『人間人形時代』というタイトルで本を作りたいので、書いてもらえないかと相談したところ、いずれ書きましょうというふうで到底すぐに書ける感じではなかったんですね。そのときにふと、私は古本屋の片隅で見つけた天文学書の中に埋もれていた足穂さんの「宇宙論入門」という文章を思い出します。「宇宙論入門」も入れていいですか、と聞いたら「かまへん」ということなのですが、これは少し説明が必要なところです。
 稲垣足穂という作家は、1回書いた文章はそのまま放っておかないんですね。編集し続けている。あるタイトルで出した文章を書き換えて、別のタイトルで再び外に出していく。「宇宙論入門」はのちに、「遠方では時計が遅れる」というすばらしい文章に書き換えられ、さらに「ロバチェフスキー空間を旋りて」へ、さらに最後には「僕の“ユリーカ”」というタイトルになり、「宇宙論入門」にあるものは徹底的に取捨選択され、1975年段階で『僕の“ユリーカ”』のなかに入っているんですね。
 だから足穂さんにとっては「宇宙論入門」は過去のものなのですが、私はそれらの変遷もすべて含めて、その原点にある「宇宙論入門」に稲垣足穂の宇宙感覚、オブジェや飛行機などの機械感覚の原型がある、という自信があったので、ぜひ入れさせてくださいと相談したわけです。


 そうしてみると、『人間人形時代』というタイトルで「宇宙論入門」を入れるということがなかなか難しくなってきた。「宇宙論入門」は「宇宙論入門」で出したほうがいいかなといったんは思ったのですが、稲垣足穂の世界はカレイドスコープのように、プラトン立体のようにさまざまな面をある程度はすべて同時に出さなければ、世に溢れた足穂本と変わらないなと思いました。
 そこで、「宇宙論入門」を加えて『人間人形時代』のタイトルにふさわしい足穂さんの文章を私が集めて、それを「人間人形時代」という格好のエッセイにまとめよう。さらにもう1本何かを入れて、3本仕立てで本を作ろう。全体は『人間人形時代』にしよう、と考えたわけです。

 
 再び京都・宇治桃山の足穂さんを訪ねて、こう考えているんですが、もう1本がなかなか思いつかないので、どういうものがいいでしょうかと相談すると、そやなあ、それは松岡さんが考えなさい(笑)、というわけですね。そこで「未来派へのアプローチ」のようなものは何かありますかと訊ねると、前にあれの原型のようなものを書いたでということで、そこで出てきたのが、「カフェが開く途端に月が昇った」という昔の原稿なんですね。
 あ、これだと思った。これで3本そろった、と。

 
 しかし「カフェが開く途端に月が昇った」,「人間人形時代」,「宇宙論入門」の3本は、私の狙いではあるけれども、3つを同じようなレベルでは扱えない。 3部構成にして、3つがそれぞれに輝きをもってほしい。これは造本に何か工夫をして、新しいエディトリアル・デザインを加えないとだめなのではないかな、と思いました。
 そこで、杉浦康平さんに相談しに行くわけですね。

稲垣足穂年譜

1900年 生誕 「マックス・プランクが、旧時代を絶縁する量子常数hを発表した同じ年の同じ月に、私は大阪市船場に生まれた」 ――『ヰタ・マキニカリス』
1912年 須磨天神浜でアメリカ人飛行家の水上飛行を見て、飛行家になることを夢見る
1914年 友人と同人誌「飛行画報」を発行
1919年 飛行家になるために上京するも果たせず。日本自動車学校に入学。自動車免許を取得
1921年 佐藤春夫の家の離れに仮寓
1922年 「チョコレット」「星を造る人」を「婦人公論」に発表
1923年 佐藤春夫の序文を得、イナガキ・タルホ名義で金星堂から『一千一秒物語』を上木
※ 時はプロレタリア文学全盛時代にあり、稲垣足穂の軽妙洒脱な作風は孤立していたが、折しも勃興した新感覚派の最前衛と目され「文藝時代」の同人に迎えられる。文壇とのつきあいはなく、新感覚派に好意的な「文藝春秋」「新潮」「新青年」を主な発表の場とした。
1926年 『星を売る店』(金星堂)刊行
1928年 『天体嗜好症』(春陽堂)刊行
※ 1930年代は創作活動が停滞。1940年にホモセクシャル傾向を告白した自伝小説「弥勒」の一部を発表。翌年チフスで入院。敗戦後は『弥勒』(小山書店)をかわきりに、『宇宙論入門』(新英社),『ヰタ・マキニカリス』(書肆ユリイカ),『悪魔の魅力』(若草書房),『彼等』(桜井書店)を次々に上梓。1950年に京都府の児童相談所に勤める女性と結婚をし、京都・宇治桃山に移り住む。
1968年 『少年愛の美学』(徳間書店),『僕の"ユリーカ"』(南北社),『東京遁走曲』(昭森社)刊行
1969年 『少年愛の美学』が第一回日本文学大賞を受賞。『稲垣足穂大全』(現代思想社・全6巻)の刊行が始まる
1970年 『ライト兄弟に始まる』(徳間書店)刊行
1971年 自分カタログというべき『タルホ=コスモロジー』(文藝春秋)を刊行。同時に、大阪と東京で「タルホピクチュア展」を開催。長年書き溜めた本が次々と本になり、70歳を越して、社会現象となる。
1975年 『人間人形時代』(工作舎)刊行
1977年 最後の本、『男色大鑑』(角川書店)を刊行。10月25日、結腸癌で永

(いとへん編集工学サイトより引用)

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posted by Mr.Rin at 06:35| Comment(0) | TrackBack(1) | Vision | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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