2007年02月02日

A・S・ニイル

Ё.S.ニイルのサマーヒルスクール

 ニイルは、子供の幸福こそ、子供のしつけや養育の中で最も重要なものと見なされるべきであり、この幸福への最も主要な寄与は、子供にその個人的な自 由を最大限認めてやることだと考えた。
 児童期のおけるこうした自由の感覚を奪い取ったり、抑圧された子供の徹底した不幸せ感が、すべてとまではいわないものの、成人の大多数の心理的な不調の原因とになっていると考えたから。  ニイルは、そこでサマーヒル・スクールSummerhillSchool.jpgには、子供が授業に出るように一切強要することをしない、という原則を設け、この学校は民主的で、すべてのものごとは生徒、教師の全員参加の会議で決定し、生徒も教師と同様の一票の権利を与えられた
 このサマーヒル学校がこれまで成功してきたことは、子供に試練や厳しい生き残りのチャンス、残忍さ、暴政、そして混乱を経験するためのための処方として自由を与えると言うウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』のやり方を断固として排除してきたからだ、と考えている。
 個人の自由から生まれる自己への信頼は、学業成績の遅れや自己中心性、わがままを 齎すというどころか、学習への動機付けや授業への出席率が、多くの場合、権威的な教育の場合の子供達の場合と同じくらいの高さになったということということでニールの信念は確実なものになる。
 また、彼は多くの知識人、思想家などと交友を結び、その中にはヘンリー・ミラーや、彼の学校をまねて自らもミニスクールを創立したバートランド・ラッセルも含まれる。
 


бA・S・ニイルasneill_02.jpg
 A.S.Neill、1883年10月17日 - 1973年9月23日)は、イギリス新教育運動の教育家。エディンバラ大学に学び、1912年、修士号を取得。1914年スコットランドのグレトナ・グリーンスクールの校長になる。
 ドイツ改革教育運動の影響を強く受け、1921年 ドイツ ドレスデン郊外のヘレナウで新しい学校を創立。この学校はのちに彼の妻になるノイシュタッターと共にオーストリアに移り、その後、1923年イングランドのライム・レギスに移り、そこで本格的に教育活動が始まる。
 サマーヒル・スクールという名でこの学校は、「世界で一番自由な学校」として知られている。ニイルの「子どもを学校に合わすのではなく、学校を子どもに合わせる」という言葉は有名。彼の著作集は邦訳がある。邦訳者の堀真一郎も、大阪市立大学の教授のポストを捨てて、自ら、きのくに子どもの村小学校(現在・きのくに子どもの村学園)を創立している。(この記事は、ウィキペディアから引用、編集)


бA・S・ニイルの信条

 「子どもを学校に合わせるのではなく、 学校を子どもに合わせる」ことである。
そして、「子どもが生まれながらに持つ自然な善性を信頼し、子どもの生をかれの自由に委ねようとすること」。

бA・S・ニイルについて
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サマーヒル・スクールからOpenGateへ




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2007年01月04日

アウトサイダーワーク

Эアウトサイダーワーク
 img091.jpgコリン・ウィルソンは語る、精神的な飢餓と渇きは、ユングのいう超越への渇望。 ユングは、自分の患者で中年を過ぎ、ひどい心理障害をかかえている人は、その問題が基本的 に宗教であると。ユングは、信念の問題、 目的意識の問題、人生の意義の問題を言っていた。
 知的に優れた人間というものは、知性派でない人たちよりいっそうの超越を必要とする。インテリであればあるほど、知性が懐疑を呼び その懐疑から解放してくれる絶対的な信念とでもいうものが欲しくなる傾向にある。
 ハイデッガーがいったところの、日常性の凡庸さ(triviality of everydayness) から逃れたいという渇望、 それこそがすべてなのだ。ヴァン・ゴッホが経験したあの瞬間、天地万物すべてが無条件に素晴らしい ものに感じられるあの体験。
 『宗教と犯行人』(邦題:アウトサイダーU)では、宗教的不適応者とその幻影に ついて、さらに最近の「Slouching towards Bethlehem」では、奇妙な夢想を抱く人、あるいは奇妙な 瞬間を持つ人、つまり森羅万象がまったき善であるという感覚をもつ人について語っている。
 人間は、基本的には動物の中 で唯一、まだ進化する余地のある生き物である、というのは事実。たいていの動物は、現状に満足して留まっているが、 人類は唯一、足踏みしてその場に留まっていることに我慢ならない性癖をもっている。根本の ところで何とかして平凡な日常を超えたい、意識の違った段階に進みたいと願っている。人類は進化の次の相へ到達す る段階に来ていると私は信じてる。それが、私がものを書き始めて以来の信念だ。つまり、人間が精神に対する新たな支 配力を手に入れる、現在よりはるかに容易により高い意識レベルに達する能力を得られると。
 つまりマズローがいうところ の至高体験、これは必ずしも神秘的な心象とは限らず、万物は素晴らしいとありありと感じられる陶然たる幸福感を味わう 体験。
 それ はあたかも不意に明かりが点いて、宇宙が美と驚異に満ち満ちていることを目の当たりにしたかのような至高体験だ。明かりが灯されたのだとしても、そこに見るのは、明かりを点ける以前からそこにあった物だということだ。
 万物は文句なく素晴らしいという感覚は、考えてみるとそれは自明のことで、常にそう見えていてもおかしくないのに、そ れでも気付かないということは、ウィリアム・ジェイムズのいう人類における盲目であり、人類に限って言えば、その当たりに秘密が潜んでいるのではないかと思われる。
 われわれの視野を狭めている独特の偏屈さから逃れ、意志のままにより視野 の広い状態に移行していくための鍵はそこにあるかもしれない。そしてわれわれは想像力を駆使してそれを行うべき、想 像力とはファンタジーや非現実を喚び出す魔力ではなく、それは、現実 に根差した未来観という意味での想像力だ。これはフランスの心理学者ピエール・ジャネのいう現実機能だが、われわれは この現実機能を発達させることが必要だ。
 たとえば 人は心の底から尻込みしたくなるような状況に置かれると、ああ神 様、なんて恐ろしいと感じ、脅威が去るとどっと安心する。ただ、自分を今の恐ろしい境遇に置いてみさえすれば、それ以外 の状況はすべからくよいものに思われる。だが、そこが人間の困ったところで、恐ろしい危機とか難関とか悲惨な状態を想 像して今をありがたい状況だと実感するような現実機能を人は持ち合わせていないのだ。
 私自身は、人間はそれにかなり近い段階ま できていると信じてはいるが、過渡期にある人間が、やはりより先鋭な意識を持ちたいと渇望するのは無理のないことなの だ。この渇望こそ、 われわれが進化の次相へ飛躍する兆し。この200年ばかりの間に、渇望がより深まった印であると思える。
  W・H・オーデンがかつて言ったように、これこそ人間存在 の真の問題であって、エドムント・フッサールは、これを共同生活世界と呼んだ。あなたの生活世界は、基本的にはあなたの視点での経験 に基づくものであり、ディケンズの生活世界はまたまったく異なっていたし、オルダス・ハクスリーの生活世界など、まったく 裏側の視点から見ているように見えた。しかし共同の生活世界というのもまたあるのである。

 われわれの生活世界はどんどん共同する部分が多くなって いる。われわれの周囲には共同生活世界が氾濫していて、いわばみんな同じスープの中にいて、同じ空気を吸っているの だ。アウトサイダーたちはこの共同の生活世界を拒んだ。より高い緊張を生活に求めていたからだ。それを求めることこそ、 最も優れた人間として必要だと言える。

 日本では私の本が非常に よく読まれているのだが、それは日本人が、特に信心深い国民ではないにせよ、意義を、意味のある人生を求めてやまな い人たちだから、ということもあると思う。そして、自分が今やっていることに全人生を、魂のすべてを注がねばならないとい う労働観、信念が国民性としてある中で、大企業などに全人生を捧げたくないと考える人はあらゆる物から疎外されている と感じるようになって、強烈に意味や目的を求める。

 何か違ったものを求める渇望感−超越の欲望。今現在は、その 渇望がかつてなく高まっているといえるだろう。われわれのこれからは、人間精神の変化、進化の次なる相への飛躍だ。
(この記事内容は、月刊プレイボーイ1995年9月号の記事を編集・引用)

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Фアウトサイダーワークは、asrinflash do it!へ続く













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2006年12月06日

ウィリアム・ブレイクという生き方

ウィリアム・ブレイクという生き方
ウィリアム・ブレイク絵.jpg
 ブレイクはその言行から非凡な人物と言われ、画家、職人、詩人、彫版師などとの広い活動範囲を持った。生涯70年。多くの作品を残したが、当時では、それらはあまり日の目を見ることはなかった。
 1757年11月27日、カーナビーマーケットに生まれる。靴下店を開いていた父ジェームズと
キャサリンの三子として誕生した。ブレイク夫妻の子どもは六人で、長子ジェームズは商人と
なり、二子ジョンは幼い頃に病死している。三子がブレイク本人で、四子はジョンという。ジョンは
ブレイク夫妻の一番の秘蔵っ子であったが、軍隊に所属して早世した。五子ロバートもまた早くに
世を去った。六子はブレイク夫妻の子供の中で唯一の女性、エリザベスである。彼女は生涯結婚
することはなかった。
 ブレイクの才能を発見したのは、父親であった。ジェームズはブレイクに教育を施し、ブレイクは
早くから画才を示した。12歳になる頃には詩も書き始めていたという。そして1767年、ヘンリー・
パーズの画学校にに入学することになったが、父親は十分な学資を与えなかったため、1771年、
ブレイクは14歳で一流彫版画家ジェームズ・バーシア(James Basire)の下に弟子入りし、彫版を
学んだ。バーシアはブレイクに寺院で古碑の寫しなどを作らせ、ここでブレイクのゴシック趣味が
養われたといわれる。その後ブレイクはロイヤルアカデミーの画学校に入学し、その後、父の家で
雑誌の挿絵などの依頼を受けて描いていた。この頃ブレイクはポーリーという少女に恋をしたが
報われず、失恋の痛手を癒そうと植木屋の下に寄寓するようになる。その植木屋の娘キャサリンと
出会い恋仲になり、1782年8月18日、彼女が21歳のとき2人は結婚した。
 自由恋愛を主張するブレイクは、一時、第二婦人を迎えようと言い出し、夫婦の円満を裂いた。
しかしキャサリンのブレイクに対する想いは崇拝に近いものがあったといわれ、ブレイクが彼女の
嫉妬の種をつくることがあったものの、一応は幸福な結婚生活を全うしたようである。2人の間に
子どもは生まれなかったが、2人はレイセスターフィールズに家を構えた。
 1784年、父親が亡くなり、兄のジェームズが後を継ぐと、靴下屋の隣に相弟子のパーカーと
共同で"Parker and Blake"という版図店を開いた。弟ロバートは店に来てはブレイクから
彫版術などをならったが、まもなく病死する。ロバートが亡くなってから、ブレイクはロバートの霊が
天井を抜けて昇天するのを見たと言っている。
Ancient of Days.jpg(この絵は、http://art.pro.tok2.com/B/Blake/Blake.htmサイトより転載)
 この後ブレイクは、パーカーと別れて一人で彫版印刷業を始めた。ブレイクは、この頃ロバートの
霊が夢に現れ光華印刷(Illuminated Printing)と言われている腐蝕彫版術を教えてくれたという。
この方法でブレイク自身が作成した詩集は皆、製版、印刷し、絵の具で色彩を施した。
 1789年、『無垢の歌(Infant Joy)』、1794年『経験の歌(Infant Sorrow)』完成。1800年、
ウィリアム ヘイレー(William Hayley)と出会い、挿絵の依頼を受ける。ブレイク彼の家から
程近い場所に移り住み、キャサリンと共に3年間逗留したが、これはブレイクにとって始めての
田舎暮らしであった。ブレイクはヘイレーに命ぜられた彫版や絵を作製したが、命ぜられるままの
機械的な仕事に、自由主義のブレイクは不満を感じるようになった。また、ヘイレーは流行的な
物を欲したが、ブレイクは流行に乗ることはなかったので、2人はたびたび口論するようになった。
そのようなことが続き、ブレイクはロンドンに帰りたいと願うようになった。
 そのうちに、ブレイクは兵隊と争いを起こし、告訴される。ブレイクはもともと反戦主義者だったが、
その言動が兵隊の反感を買い、国事犯として逮捕されたのである。翌年の1804年1月11日、
治安妨害罪で裁判を受ける。無罪になるも、ブレイクはますますロンドンに帰りたいという気持ちが
募り、ついにロンドンに帰ることになる。
 詩作においては、1808年に『ミルトン(Milton)』、1818年、『エルサレム(Jensalem)』が完成。
これは幻覚による神秘的な言風の詩で綴られた偉大な作品となった。ロンドンに帰り幾つかの
作品を作るも、ブレイクは人気が出ず、やがて日々の糧をも得難い程の窮地に陥っていた。
 1809年、個人展覧会に出展したが、これも世人の注意をひくには至らなかった。それでも新たに
得た友人や、妻キャサリンの存在によって、ブレイクの晩年は比較的穏やかに過ぎた。
亡くなる前には、神を賛美する歌を作り口ずさんだりと、とても幸せそうだったと言われている。
 1827年8月12日、遺言によりブレイクの骸はブレイクの家の墓地に埋葬された。
(写真はウィキペデイア、記事はhttp://dac.gijodai.ac.jp/studioM/deapa/writer_blake.htmlサイトより引用)

Э詩集
無垢の歌.jpg無垢と経験のうた1.2.3.4

Эウィリアム・ブレイク著作集
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2006年11月13日

来年はasrinplanetsを興して、仕事するぞ!

来年はasrinplanetsからサイバーな仕事するぞ!
仕事は、言の葉で世界を変える為のエージェント(代理人)からかな。新たな仕事は出版エージェントとしての私の原稿の出版ですかね〜。

注記:yahooのgeocities上でのアドレスhttp://www.geocities.jp/asrin1951/
は、Bflets環境でのブロバイダーをPlalaに変更したためアクセスできません。これからPlala上でHPを作成します。
出来上がりましたら、お知らせします。asrinplanets上のブログのそれが扉になります。

ガタカと老子.jpg

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2006年08月09日

スティーブン・ジョブズの言葉

〓〓〓[〓〓〓W〓〓〓.jpg

"Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. "
「あなたの人生は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。」
                                 スタンフォード大学の卒業スピーチより
Э全スピーチ

You've got to find what you love.「あなたの好きなものを見つけなさい!」
I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world.
世界で最もすばらしい大学の一つの卒業式であなた方とご一緒できることを光栄に思います。
I never graduated from college.
私は大学を卒業したことがありません。
Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation.
実を云うと、これが私が経験した大学の卒業に最も近い体験と云うことになります。
Today I want to tell you three stories from my life.
今日は、私の人生から、3つのお話をしようと思います。

That's it. No big deal. それはどうってことはないですよね。
Just three stories.たった3つの話ですから。
The first story is about connecting the dots.最初の話は、点と点をつなぐことです。
I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit.
私は、リード大学を6ヶ月でドロップアウトしましたが、本当にやめてしまうまで、18ヶ月かそこいらはもぐりの学生として居残っていました。
So why did I drop out? で、何故やめたのかって?
It started before I was born. それは、私が生まれる前にさかのぼります。
My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption.
私の生みの母は、若い、未婚の院生で、私を生んだら養子に出すと決めていました。
She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife.
彼女は、私を大学卒業した人に養子にして貰おうと強く思っていましたので、ある弁護士夫婦が誕生時に私を養子にする手はずがすべて整っていたのです。
Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl.
だが意外にも、私がポンと出たとたん、彼らは、本当はは女の子がほしかったと、ぎりぎりの瞬間に決めてしまったです。
So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?"
そこで、私の両親は、養子縁組待ちのリストの家に夜中に電話をかけたのです。「予定外の男の子が生まれたんですけど、欲しいですか?」
They said: "Of course." 彼らは云いました。「もちろんですとも」
My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school.
私の生みの母が後でわかったことなんですけど、私の母親は、大学も出ていなければ、父親は、高校も卒業していなかったのです。
She refused to sign the final adoption papers.
そこで、彼女は、最終養子縁組の書類のサインを拒みました。
She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
彼女は、私の両親が私を大学に行かせると約束して2・3ヶ月後に折れました。
And 17 years later I did go to college. そして、17年後に大学に行ったのです。
But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition.
しかし、何も知らないで、スタンフォード並みの高い学費の大学を選んでしまったので、労働者階級の両親は、蓄えは、私の学費に消えていくんです。
After six months, I couldn't see the value in it.
6ヶ月後、大学にいることに価値を見いだせませんでした。
I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out.
私は、私の人生で何がやりたいか全くわからないし、私がそれを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかもわからなかったのです。
And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life.
なのに、ここで私は、両親が全生涯をかけて貯めたお金すべてを使っている。
So I decided to drop out and trust that it would all work out OK.
そこで、私は退学して、すべてはうまくいくと信じることに決めたのです。
It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made.
その当時は、非常に怖かったが、後で振り返って私が今まで行った最良の決断の一つであったといえます。
The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
ドロップアウトした瞬間から、興味のない必須科目をとるのを止め、そして、興味ありそうな科目をとり(不正聴講)始めたり。
It wasn't all romantic. でも夢のようなことばかりではなかった。
I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple.
私は、寮に自分の部屋がなかったので、友達の部屋の廊下で寝たりした。食費を稼ぐのにコーラ瓶を5セントで返しに行ったり、日曜の夜は、クリシュナ教の寺院で食事を貰いに7マイルも町を抜けて歩いていったりしました。
I loved it. それが好きだったんです。
And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on.
私の好奇心と直感の赴くままに転げ込んだ多くの事柄が、後になって、値段の付けられないものに変わったといえます。
Let me give you one example:一つの例を申し上げましょう。
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country.
リード大学は、当時は、国内では最高のカリグラフィ(飾り文字)教育を提供していました。
Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed.
あらゆるポスター、各戸棚に貼るラベルにたるまでキャンバスには、美しい手書きのカリグラフィが施されていました。
Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this.
私は退学していて、普通の授業は受けられないので、カリグラフィをどうやって学ぶか、その授業をとることに決めたのです。
I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great.
セリフ(欧文活字のひげ飾り)やサンセリフの書体、活字の組み合わせで字間を変えたり、素晴らしい印刷活字(フォント)の作り方などを勉強しました。
It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
それは、美しく、歴史的で、科学では捉えられない芸術的に微妙なもので、実に面白いことがわかったのです。
None of this had even a hope of any practical application in my life.
この様なことは、何も私の人生における実際的な活用に見込みを持ったものではありませんでした。
But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me.
しかし、10年後、マッキントッシュ・コンピューターを設計する時にそれは私によみがえったのです。
And we designed it all into the Mac.
わたくしたちは、すべてをマックに組み込みました。
It was the first computer with beautiful typography.
それは、美しい活字を持った最初のコンピューターでした。
If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts.
もし私が、大学のこの単一のコースに寄り道していなかったならば、マックは複数書体も入っていなかったり、字間調整フォントも無かったでしょう。
And since Windows just copied the Mac, its likely that no personal computer would have them.
ウインドウズは、単なるマックのコピイですので、そのようなパソコンは無かったようです。
If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do.
もし私が、退学していなかったら、このカリグラフィの授業をを受けていなかったであろうし、パソコンも今あるように素晴らしい活字を搭載していなかったかもしれない。
Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college.
もちろん、私が大学にいた頃は、先を見て点と点を結ぶことは不可能でありましたが。
But it was very, very clear looking backwards ten years later.
しかし、それは、10年後を振り返ってみると非常にはっきりとしています。
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
もう一度云います、あなた達は、先を見て点と点を結びつけることは出来ないけれども、過去を振り返ると繋げることが出来るだけなんだ。
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
だから、あなた達は、将来、点どうしが何らかの形でつながってくることを信じるべきなんだ。
You have to trust in something - your gut, destiny, life, karma, whatever.
あなた達は、自分の根性、運命、人生、カルマ、何でも良い、とにかく信じること。
This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
このアプローチは、私を裏切ったことはなく、私の人生においてのすべての違いをもたらしたのである。。

My second story is about love and loss. 私の第二のお話は、愛することと失うものについてであります。
I was lucky ? I found what I loved to do early in life.
私は幸運でした? 私は、人生で早い段階でしたいことを見つけました。
Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20.
ウオズ(Steve Wozniac )と私は、私が二十歳の時、両親のガレージで、アップルをスタートしました。
We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees.
われわれは、一生懸命に働き、10年間で、ガレージでの2人の会社から、従業員4000人、20億ドル企業に成長しました。
We had just released our finest creation - the Macintosh - a year earlier, and I had just turned 30.
私たちが、最高の創造物ーマッキントシューをリリースし、丁度1年前、私は、丁度30歳になったところでした。
And then I got fired. そこで、解雇されたのです。
How can you get fired from a company you started?
あなたが立ち上げた会社からどうして追い立てられたの?
Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well.
そうです。アップルが成長したので、私と一緒に会社をやってくれる非常に有能な人を採用し、最初の1年そこそこはうまくいった。
But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out.
しかし、われわれの未来に対するビジョンに亀裂が生じ始め、結局は、崩壊したのです。
When we did, our Board of Directors sided with him.
私が決めた時、取締役会は彼の側につきました。
So at 30 I was out. そして、私は30歳そこそこで、失職したのです。
And very publicly out. これは知れ渡っていることです。
What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
私の全人生の焦点であったものが、消えてしまい、それは我慢のならないことでした。
I really didn't know what to do for a few months.
私は、本当に、二三ヶ月は、何をしようとも思いませんでした。
I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me.
私は、前の世代の企業家たちを失望させたと感じました。それは、自分に渡されたバトンを落としてしまったという思いです。
I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly.
私は、ディビッド・パッカード(HPの創業者の一人)とボブ・ノイス(フェアチャイルド半導体とインテルの共同創業者)に会いました。
そして、最悪に台無しにしたことをお詫びしようとしました。
I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley.
わたしは、非常に知れ渡った失敗者であったので、シリコンバレーから去ろうと考えたことさえありました。
But something slowly began to dawn on me ― I still loved what I did.
しかし、私には何かがゆっくりと見え始めました。私は、まだ、私のやった仕事が好きでした。
The turn of events at Apple had not changed that one bit.
アップルでの変事でもその気持ちをいささかも変えることはありませんでした。
I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
振られても、まだ、好きなんです。そして、始めてみようと決めたのです。
I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me.
その時は、判らなかったのですが、アップルから追い出されたことが、私が経験することができた最良の出来事であるという風に変わったのです。
The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything.
成功していることの重みが、再び、すべてに対して確かでないという、初心者の軽さに置き換わったのです。
It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
私の人生の最も創造的な期間の一つに入れる自由を持ったのです。
During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife.
次の5年間は、NEXT社、もう一つは、Pixar 社をスタートさせ、私の妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。
Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world.
ピクサー社は、トイ・ストーリーという最初のコンピューターアニメーション映画を作り、今や世界で最も成功したアニメーションスタジオになっています。
In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I retuned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance.
思いがけない事で、アップルは、NEXT社を買収し、私は、アップルに戻ってきて、NEXTで開発した技術は、現在のアップルの改革の心臓にあります。
And Laurene and I have a wonderful family together.
そして、ローレンスと私は、素晴らしい家庭を築いてきました。
I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple.
アップルを追い出されていなかったら、この様なことが起こっていないと断言できます。
It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it.
ひどい味の薬でしたが、患者には必要だったのですね。
Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith.
時々、人生は、あなたの頭を煉瓦で殴るようなことをします。だけど、信念を失ってはいけない。
I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did.
私が続けてこれたたった一つのことは、私のやったことが好きだからと断言します。
You've got to find what you love.
みなさんも、自分の好きなことを見つけなきゃいけない。
And that is as true for your work as it is for your lovers.
それは、仕事に対しても、恋人に対しても同じです。
Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work.
あなた方の仕事は、人生の大部分を占めていくだろうけど、本当に満足できるたった一つの方法は、あなた方が素晴らしい仕事と信じられることをすることです。
And the only way to do great work is to love what you do.
偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたのする仕事を愛することです。
If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle.
まだ見つからないなら、探し続ければよい、止まってしまってはいけない。
As with all matters of the heart, you'll know when you find it.
心の問題と同じように、見つかればすぐ判ります。
And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on.
大きな恋愛関係と一緒で、年をとるほど良くなっていくものです。
So keep looking until you find it. Don't settle.
だから見つかるまで探し続けること、止めてはいけません。

My third story is about death.私の第3のお話は死についてです。
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."
私は、17歳の時、「もしあなたが、今日が最後の日だと毎日思って生きているとすれば、きっと、ある日、あなたは、確かにひとかどの人物になるであろう。」
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
この言葉は、私に強い印象を与えました。その時以来、過去33年間、私は毎朝、鏡に向かって、自分に尋ねています。
「今日が私にとって最後の日であったら、自分が今日やる予定のことを、やろうと望んでいるのであろうか?」
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
答えが、Noが幾日も続くと、私は何か変える必要があると悟るわけです。
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life.
私がまもなく死ぬであろうことを思うことは、私がこれまで人生で大きな選択に迫られた時の非常に重要な手段である。
Because almost everything ? all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important.
というのは、ほとんどすべてのもの、外部からの期待のすべて、プライドのすべて、屈辱あるいは失敗への恐れのすべて、・・こういったものは、死に面した時、消え去ってしまうものだからです。
Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.
あなたが死のうとしていると思うことは、あなたが何かを失ってしまうのではと思う罠を抜け出すための私が知っている最良の方法です。
You are already naked. あなた方は、すでに裸なのです。
There is no reason not to follow your heart.自分の心のままに従ってはいけない理由など全くありません。
About a year ago I was diagnosed with cancer. 私は、1年ほど前、ガンと診断されました。
I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas.
朝の7時半にスキャンしましたが、私のすい臓に腫瘍がくっきりと映っていたのです。
I didn't even know what a pancreas was.私は、すい臓が何かも知りませんでした。
The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months.
医者たちは、これは、ほとんど確かに、治療不可能なタイプのガンです、3ヶ月か6ヶ月しか生きられないでしょうと云いました。
My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die.
私の医者は、私に家に帰って、私の仕事を片づけるようアドバイスしました。それは、医者の死への準備をしろというコードなのです。
It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months.
それは、あなたがこの先10年間に子どもたちに云っておきたいと思うことを、ここ二三ヶ月の間に全部云っておくようにということでした。
It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family.
それは、あなたの家族に対して出来るだけ楽になるように万事成し遂げよということなのです。
It means to say your goodbyes.それはつまり、さよならを告げると云うことなのです。
I lived with that diagnosis all day. 私はその診断を一日中もって過ごしました。
Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor.
夕方遅くなって、私は、バイオプシー(生検)を受けたのです。そこでは、内視鏡はのどから胃を通って、腸内に入り、針を私のすい臓に入れて、腫瘍の細胞を採取しました。
I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery.
私は、鎮静剤で平静でしたが、妻は、そこにいたのですが、医者たちが顕微鏡下の細胞を見たとたん泣き始めたと私に云ってくれました。それは、外科で治療可能なごくまれな形態のすい臓ガンであることが判ったからです。
I had the surgery and I'm fine now.私は外科手術を受け、今も元気です。
This was the closest I've been to facing death, and I hope its the closest I get for a few more decades.
これは、私が死に直面した最も最近の経験ですが、これから先、二三十年経ってもこれが最後に願いたいものです。
Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
No one wants to die.
それを通して生きたから、今や、ちょっとは確信を持って言えるんだが、死は意識すると有益だが、純粋に頭の中の概念でしかなかったということです。誰も死にたくはないですよね。
Even people who want to go to heaven don't want to die to get there.
天国へ行きたい人でもそこへ行くために死にたくはない。
And yet death is the destination we all share.
でも、死はわれわれすべての終着点なのだ。
No one has ever escaped it. 誰だって、それから逃れられない。
And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life.
そして、そうあるべきなんです。なぜなら、死は、生の単一の最高の発明品だから。
It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new.
それは、生の変化を起こす代行者であり、新しいものを作るために古きものを消すのです。
Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away.
丁度今、新しいものはあなた方であり、しかし、いつか遠くない将来、あなた方は、古くなりそして消え去られる日が来る。
Sorry to be so dramatic, but it is quite true.ドラマチックな言い方ですまないけど、それは全く真実なのです。
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
あなた方の時間は限られているので、誰か他の人生を生きて、無駄をすべきではない。
Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking.
他の人々の考え方と共に生きていくというー教条にとらわれる必要はない。
Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice.
あなたの心の中の声を他人の意見の騒音の中にかき消されないようにしなさい。
And most important, have the courage to follow your heart and intuition.
そして大切なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持ちなさい。
They somehow already know what you truly want to become.
そうしたわけか、それらは、あなた方が本当になりたいことを、すでに知っているのだ。
Everything else is secondary.それ以外のすべてのことは二の次でよい。

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation.
私が若かった頃、「全地球カタログ」という私の世代のバイブルの1つのような驚くべき出版物があった。
It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch.
それは、スチュアート・ブランドという男が、ここから遠くないメンローパークで制作したもので、彼は詩的なタッチで命を吹き込んでいました。
This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras.
この時代は、60年代後半、パソコンやデスクトップ印刷がでる前で、すべて、タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていました。
It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
それは、35年前に戻って出されたグーグルのペーパーバック版ともいうべきもので、理想に燃え、身近なツールや素晴らしい概念であふれていました。
Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue.
スチュアートと彼のチームは、「全地球カタログ」を何度か出版し、それからそのコースを走りきってしまい、彼らは最終版を出しました。
It was the mid-1970s, and I was your age. それは、70年代の半ば頃で、私はあなた方と同じ年でした。
On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous.
最終版の裏表紙には、もしあなたが冒険好きならば、ヒッチハイク上で出くわすかもしれないようなまだ朝早い田舎道の写真がありました。
Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off.
写真の下には、「ハングリーであれ、馬鹿であれ」と書かれていました。それらは、彼らが断筆する際のさよならのメッセージでした。
Stay Hungry. Stay Foolish. ハングリーであれ、馬鹿であれ。
And I have always wished that for myself. そして、私は、私自身そうありたいと望んできました。
And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.そして今、卒業して新たな人生を始めるにあたって、あなた方にそれを望みたい。
Stay Hungry. Stay Foolish.ハングリーであれ、馬鹿であれ。
Thank you all very much.ありがとうございました。


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2006年07月31日

亀山金太商会の弟分ブログ開設したよ!

画像 249.jpg 亀山金太商会の弟分ブログ開設したよ!宜しくね。
 

 Э未来からのVision 水と木と土
 http://blogs.yahoo.co.jp/solarmoon1951/MYBLOG/yblog.html

 (Ф亀山金太商会 http://plaza.rakuten.co.jp/KameyamaKinta/ 兄貴です)
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2006年07月10日

バックミンスター・フラー

 バックミンスター・フラー.jpg
 バックミンスター・フラーが予見した”宇宙船地球号”は、今どこに向かっているのだろうか?現代のレオナルド・ダ・ビンチとも言われたフラーが、今生きているとしたらあの小さな動き回り、しゃべりまくる彼は何を語るのだろうか?
 そんなことを思いながら、フラーの世界を追って見ましたよ。


 バックミンスター・フラーRichard Buckminster Fuller, 1895年7月12日 - 1983年7月1日)は、アメリカマサチューセッツ州出身の建築家数学者発明家思想家
 独自の数学、物理学体系「エネルギー/シナジー幾何学」を構築。ジオデシック・ドーム(フラードーム)を発明。
 世界地図においても画期的なダイマクション地図を発明。 「宇宙船地球号」の概念を提唱。
 また、「炭素60」(C60)と呼ばれる炭素クラスター分子はジオデシック・ドームと同じ構造を持つことから、彼にちなんで「フラーレン」または「バッキー・ボール」と命名された。(略歴は、ウィキペディアから一部引用)
 

  ”予見のデザインサイエンス”と”予見を語りたい衝動”が、フラーの宇宙船地球号にはある。そして、フラーが最も嫌っているのは専門的思考。専門バカが嫌い、新しい生き方はすべからく「総合的な性向」をもつはずだというのがフラーの絶対の信念。DScollage.jpg

 生み出された「ダイマクション・カー」「ジオデシック・ドーム」「ダイマクション・ハウス」などの革命的な発明の数々。
 「ジオデシック・ドーム」は、最も軽く最も強く、最もコスト効率の良い構造で、包囲からの内部支持を必要とせず、多くのスペースをカ バーすることができ、また、費用効果だけでなく構築しやすい構造の建造物。1957年に、ホノルルのジオデシックドーム講堂が素早く組み立てられ、 22時間後には、満員の聴衆がコンサートを楽しむことができたといわれる。
 
map.gif
ダイマクション地図
 彼の発案による「宇宙船地球号」の概念は、彼のダイマクション地図(可視のひずみのない平らな表面上の大陸を最初に示した地図)を利用した「ワールド・ゲーム」のために発案。 プレーヤーが戦略を練り、資源と人間のニーズを考慮してグローバルな問題の解決策を提案するといった、地球運営方法を提案したもの。(写真と記事の一部は、http://www.geocities.jp/ppp_design/special06.htmlより引用)
sustain_sphere.jpg
(写真はFuller institute site http://www.bfi.org/より転載)
 
 
※参考図書
1960年にR・W・マークスと共著した『バックミンスター・フラーのダイマキシオンの世界』(鹿島出版会)

〇宇宙絵本ともいうべき『テトラスクロール』(めるくまーる社)

〇フラーの幾何学の理解には宮崎興二の『多面体と建築』(彰国 社)

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2006年05月02日

うさりん仙人(300歳)

うさりん仙人(300歳)


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2006年04月29日

稲垣足穂のVision!

稲垣足穂のVision!

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『人間人形時代』は1975年に、私が工作舎にいた頃に作った本で、当時さまざまな理由から非常に話題になった本です。本の値段が1,975円という、当時町の本屋さんに5円のお釣りがなくて、日本中の本屋さんから文句を言われたというのも話題のひとつですが、いちばん話題になったのは、本の真ん中に孔が空いているということです。これについてはこれから徐々にお話していきます。


 稲垣足穂さんと私は、『遊』のなかで「タルホニウム放射圏」という対談をしています。これは5、6年にわたり、私が京都の宇治桃山に住んでおられた足穂さんのもとへ行く度に録音していたものを、少しずつ連載をしていたものです。そのタイトルにも表れているように、“タルホニウム”という別の物質世界、物質的精神世界のなかで足穂さんが話し、私がそれに何かを交わすという狙いのもので、私が訪ねると「松岡はんはほんな玄関から入ってこんでもええわ。縁側から来なさい」と言われながら、お話をしていた。

編集工学研究所で収録された『人間人形時代』の本談ビデオがお楽しみいただけます。下の"Movie"をクリックしてご覧下さい。(約2.3MB)
※ご覧になるには
QucikTimePlayerが必要です。

 昭和初期に鮮烈なデビューをし、当時文壇の寵児としてもてはやされた稲垣足穂は、中央の文壇や文藝誌と付き合うこともなく、実は随分長い間忘れられていた作家だったんですね。
 それが1960年代後半に、『南北』(編集人:常住郷太郎)や『本の手帖』というリトル・マガジンが稲垣足穂を取り上げ始めた。最初は小説が載る程度だったものが、新連載が始まり、特集が組まれるようになって、一般の雑誌や新聞にも原稿を書くようになり、70歳を越えた頃に、それまで書き溜めていた原稿が次々に本になっていくんです。

 
 私はごく初期の頃から稲垣足穂に関心を持っていて、日本の文学者にはきわめてめずらしく、宇宙論や機械論があることに驚いていた。しばしば宮沢賢治と比較されますが、宮沢賢治のファンタジックな宇宙感覚とはまったく違います。理論的・学問的に研究した上での宇宙論や天文学に憧れていたことに、私は関心があった。
 また大学の頃に、私は新聞会や劇団素描座やアジア学会ともうひとつグライダー倶楽部にも入っていて、飛行機にひじょうに興味があったんです。飛行機はなぜ飛ぶのか。金巾(カナキン)という布を張りプロペラを手動で作業員が回してスロットルを入れる、という複葉機の時代もありましたが、そんなことをしてまで空中をかけめぐりたいという欲求を乗せて、菜の花畑をひらひらと揺らめかすようなフラジャイルなマシーンにきわめて憧れがあって、稲垣足穂が少年の頃から飛行機を偏愛し、武石浩波や徳川大尉、ハルマンやブレリオたちの複葉機の世界を描いていることにもまた興味があったんですね。
 さらにもうひとつ、人間をボール紙でできた円筒と見てしまうような、非常に抽象化された性の感覚に早くから目覚めていたことにも惹かれた。ジャン・ジュネのレスリング的な男色や『仮面の告白』や『禁色』に三島由紀夫が描いた世界とは全く異なる、その形而上の性の感覚は一体なんだろう、と思っていたわけですね。
 
 
 このように稲垣足穂には関心はあったけれども、非常に少数のファンしかいないだろうと思っていたのが、60年代後半以降、その外見や歯に衣着せぬ物言いを勘違いして受け取られて、魔道の大王とかタルホ大魔神とか訳のわからないもてはやされ方すらし始めた。これはちょっと足穂さんの世界が歪められてるな、というと大袈裟かもしれないけど、私の好きな稲垣足穂像とは違うブームだなと思っていたんです。
 『遊』に「タルホニウム放射圏」を連載しながら、もっと稲垣足穂の原点らしいものを世の中に提供してみたい、それには本作りも足穂さんらしいものにしなければならないだろう、と思って着手したのがこの『人間人形時代』なんですね。


 最初の発想は、「人間人形」という言葉を私が足穂さんの小さなエッセイに発見するところから始まります。“人間と人形”でもなく“人間的人形”でもなく、“人形的人間”でもなく、「人間人形」と言うこのセンスを、少し膨らませてみたいと思ったわけですね。
 1970年代初期はサイボーグとかレプリカントとかソフトマシーンとか、そういうものがやっと出始めた頃で、まだパンクという言葉や感覚はなかったんじゃないかと思うけれども、もちろんワープロもパソコンもない。しかし人々がなにかこれからの時代がマン・マシーンの感覚に入っていくのではないかというものを思い始めていた。人間と人形が入れ替わっていくような感覚がこれから出てくるのではないか。
 それを稲垣足穂は昭和の初期に察知していて、「人間人形」という感覚をどこかでつかんだ。これをちょっと膨らませて、変わった本にできないかな、と思ったのが最初のアイデアのきっかけです。

 
 そこでさっそく京都にいる足穂さんを訪ねて、『人間人形時代』というタイトルで本を作りたいので、書いてもらえないかと相談したところ、いずれ書きましょうというふうで到底すぐに書ける感じではなかったんですね。そのときにふと、私は古本屋の片隅で見つけた天文学書の中に埋もれていた足穂さんの「宇宙論入門」という文章を思い出します。「宇宙論入門」も入れていいですか、と聞いたら「かまへん」ということなのですが、これは少し説明が必要なところです。
 稲垣足穂という作家は、1回書いた文章はそのまま放っておかないんですね。編集し続けている。あるタイトルで出した文章を書き換えて、別のタイトルで再び外に出していく。「宇宙論入門」はのちに、「遠方では時計が遅れる」というすばらしい文章に書き換えられ、さらに「ロバチェフスキー空間を旋りて」へ、さらに最後には「僕の“ユリーカ”」というタイトルになり、「宇宙論入門」にあるものは徹底的に取捨選択され、1975年段階で『僕の“ユリーカ”』のなかに入っているんですね。
 だから足穂さんにとっては「宇宙論入門」は過去のものなのですが、私はそれらの変遷もすべて含めて、その原点にある「宇宙論入門」に稲垣足穂の宇宙感覚、オブジェや飛行機などの機械感覚の原型がある、という自信があったので、ぜひ入れさせてくださいと相談したわけです。


 そうしてみると、『人間人形時代』というタイトルで「宇宙論入門」を入れるということがなかなか難しくなってきた。「宇宙論入門」は「宇宙論入門」で出したほうがいいかなといったんは思ったのですが、稲垣足穂の世界はカレイドスコープのように、プラトン立体のようにさまざまな面をある程度はすべて同時に出さなければ、世に溢れた足穂本と変わらないなと思いました。
 そこで、「宇宙論入門」を加えて『人間人形時代』のタイトルにふさわしい足穂さんの文章を私が集めて、それを「人間人形時代」という格好のエッセイにまとめよう。さらにもう1本何かを入れて、3本仕立てで本を作ろう。全体は『人間人形時代』にしよう、と考えたわけです。

 
 再び京都・宇治桃山の足穂さんを訪ねて、こう考えているんですが、もう1本がなかなか思いつかないので、どういうものがいいでしょうかと相談すると、そやなあ、それは松岡さんが考えなさい(笑)、というわけですね。そこで「未来派へのアプローチ」のようなものは何かありますかと訊ねると、前にあれの原型のようなものを書いたでということで、そこで出てきたのが、「カフェが開く途端に月が昇った」という昔の原稿なんですね。
 あ、これだと思った。これで3本そろった、と。

 
 しかし「カフェが開く途端に月が昇った」,「人間人形時代」,「宇宙論入門」の3本は、私の狙いではあるけれども、3つを同じようなレベルでは扱えない。 3部構成にして、3つがそれぞれに輝きをもってほしい。これは造本に何か工夫をして、新しいエディトリアル・デザインを加えないとだめなのではないかな、と思いました。
 そこで、杉浦康平さんに相談しに行くわけですね。

稲垣足穂年譜

1900年 生誕 「マックス・プランクが、旧時代を絶縁する量子常数hを発表した同じ年の同じ月に、私は大阪市船場に生まれた」 ――『ヰタ・マキニカリス』
1912年 須磨天神浜でアメリカ人飛行家の水上飛行を見て、飛行家になることを夢見る
1914年 友人と同人誌「飛行画報」を発行
1919年 飛行家になるために上京するも果たせず。日本自動車学校に入学。自動車免許を取得
1921年 佐藤春夫の家の離れに仮寓
1922年 「チョコレット」「星を造る人」を「婦人公論」に発表
1923年 佐藤春夫の序文を得、イナガキ・タルホ名義で金星堂から『一千一秒物語』を上木
※ 時はプロレタリア文学全盛時代にあり、稲垣足穂の軽妙洒脱な作風は孤立していたが、折しも勃興した新感覚派の最前衛と目され「文藝時代」の同人に迎えられる。文壇とのつきあいはなく、新感覚派に好意的な「文藝春秋」「新潮」「新青年」を主な発表の場とした。
1926年 『星を売る店』(金星堂)刊行
1928年 『天体嗜好症』(春陽堂)刊行
※ 1930年代は創作活動が停滞。1940年にホモセクシャル傾向を告白した自伝小説「弥勒」の一部を発表。翌年チフスで入院。敗戦後は『弥勒』(小山書店)をかわきりに、『宇宙論入門』(新英社),『ヰタ・マキニカリス』(書肆ユリイカ),『悪魔の魅力』(若草書房),『彼等』(桜井書店)を次々に上梓。1950年に京都府の児童相談所に勤める女性と結婚をし、京都・宇治桃山に移り住む。
1968年 『少年愛の美学』(徳間書店),『僕の"ユリーカ"』(南北社),『東京遁走曲』(昭森社)刊行
1969年 『少年愛の美学』が第一回日本文学大賞を受賞。『稲垣足穂大全』(現代思想社・全6巻)の刊行が始まる
1970年 『ライト兄弟に始まる』(徳間書店)刊行
1971年 自分カタログというべき『タルホ=コスモロジー』(文藝春秋)を刊行。同時に、大阪と東京で「タルホピクチュア展」を開催。長年書き溜めた本が次々と本になり、70歳を越して、社会現象となる。
1975年 『人間人形時代』(工作舎)刊行
1977年 最後の本、『男色大鑑』(角川書店)を刊行。10月25日、結腸癌で永

(いとへん編集工学サイトより引用)

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posted by Mr.Rin at 06:35| Comment(0) | TrackBack(1) | Vision | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

チョコッとエロイロを投稿

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映画「花と蛇 2 パリ / 静子」 杉本彩 緊縛遊戯
映画「花と蛇 2 パリ / 静子」 杉本彩 緊縛遊戯杉本彩

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starそれにしてもボカシが多い!
star色とりどりの妖艶が味わえるね
starこれって

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官能小説の大家・団鬼六の代表作にして、これまで幾度か映画化されてきた『花と蛇』。本作は劇画家にしてにっかつロマンポルノ作品や『ヌードの夜』『GONIN』などの劇場用映画も手がける鬼才・石井隆が監督した、映画版『花と蛇』の決定版ともいうべきシリーズ第2作のメイキング作品。美術評論家の夫の命を受け、パリ在住の若き画家の元を訪れる静子。画家の創作欲を喚起させるため、やがて二人は倒錯した欲望の世界へと溺れていく。静子を演じる杉本彩が役になりきったナレーションをかぶせ、本編のダイジェストと共に撮影風景が映し出される。フィクションとはいえ、現場では実際に縛られ責められているだけに、ある意味本編以上に生々しい映像を満喫できるメイキングとなっている。

花と蛇
花と蛇杉本彩 団鬼六 石井隆

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star感動しました
starここまでやる? な杉本彩のSMショー
starグロテスクな。。

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世界的なタンゴ・ダンサーの静子(杉本彩)は、実業家の夫・遠山(野村宏伸)の自分に対する心が遠のいていくことに不安を抱いていた。そんな折、静子に魅せられた政財界の黒幕・田代(石橋蓮司)の意を受け、暴力団組長の森田(遠藤憲一)は遠山を罠にかけて静子を拉致監禁する。そこは、セレブの人間を観客とする異様なSMショーの舞台でもあった…。
『ヌードの夜』『GONIN』などの鬼才・石井隆監督が、団鬼六の同名SM小説に挑戦した意欲的問題作。もはや体当たりという言葉の域を超えた杉本彩の壮絶な演技と肢体が全編を圧倒する。そもそもS的イメージの強い彼女に、あえてM的役柄を強いらせていることで、その倒錯感はいやおうにも増していく。伊藤洋三郎扮するセーラー服を着たショーのピエロ男もおぞましいほど効果的に映える。とにもかくにも善人がひとりも出てこない究極のピカレスク映画。ただし、ヒロインが自分の運命を受け入れてショーが始まってからの描写は、そこに至るまでの精神的テンションの高さに比べると急にトーンダウンしてしまい、ちと肩透かしの感もある。安川午郎のタンゴを基調とした音楽も秀逸。
posted by Mr.Rin at 03:39| Comment(0) | TrackBack(0) | Vision | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

FUN

画像 454.jpg

イラストビジョンのイメージサンプル

”愛川の仲間たちU”のブログ アドレス:
http://blog.livedoor.jp/asrin1951/



posted by Mr.Rin at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | Vision | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

2006年02月19日

華の心は、いつも私の中に生きている

華の心はいつも私の中に生きている1.jpg

華の心はいつも私の中に生きている台風

posted by Mr.Rin at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Vision | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月16日

Visionのサンプル

倉木麻衣1.jpg
これは新たなカテゴリーのVisionのサンプル
posted by Mr.Rin at 04:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Vision | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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